2023年12月6日水曜日

社畜の鎖自慢・奴隷の鎖自慢

こんばんは、こうちゃんです。

ちょっと、労働社会の中でも、特に底辺界で有名なパワーワード、

奴隷の鎖自慢

について少々解説をば。

現在では、日本の社畜の数は今やものすごいことになり、
一億総貧困時代などとも呼ばれ、
国内の会社員制度は、
有史以来最大の奴隷制度とも揶揄されていますが、
その奴隷状態の社畜たちは、大半があきらめとともに自身の身の不幸を受け入れてしまっています。

そして、その不幸な身の上を嘆き逆らうどころか、同じく社畜仲間とどれだけ自分の待遇がひどいかを自慢し合っている実情です。

この思想の根底には、昔からある、

奴隷の鎖自慢

という行為、思想が根付いているように見えます。

奴隷の鎖自慢とは、ざっくり言ってしまえば、

忙しさにかまけて自由すらない自らの境遇に嘆いたり憤ったりするどころか、
むしろ労働力として搾取される自分を誇りに感じ、
忙しさを自慢の種にする、卑屈な奴隷根性のこと。

元は、
リロイ・ジョーンズ 1968年、NYハーレムにて語った内容で、

奴隷は、奴隷の境遇に慣れ過ぎると、
驚いた事に自分の足を繋いでいる鎖の自慢をお互いに始める。
どっちの鎖が光ってて重そうで高価か、などと。

そして鎖に繋がれていない自由人を嘲笑さえする。
だが奴隷達を繋いでいるのは実は同じたった1本の鎖に過ぎない。
そして奴隷はどこまでも奴隷に過ぎない。

過去の奴隷は、自由人が力によって征服され、やむなく奴隷に身を落とした。
彼らは、一部の甘やかされた特権者を除けば、
奴隷になっても決してその精神の自由までをも譲り渡すことはなかった。
その血族の誇り、父祖の文明の偉大さを忘れず、隙あらば逃亡し、
あるいは反乱を起こして、労働に鍛え抜かれた肉体によって、肥え太った主人を 血祭りにあげた。

現代の奴隷は、自ら進んで奴隷の衣服を着、首に屈辱のヒモを巻き付ける。
そして、何より驚くべきことに、現代の奴隷は、自らが奴隷であることに気付いてすらいない。
それどころか彼らは、奴隷であることの中に自らの 唯一の誇りを見い出しさえしている。

とのことです。

悲しいことに奴隷はいつもこうなのですね。
たぶん、100年前も1000年前もきっと鎖自慢していたのでしょうね。
奴隷ですら時に反乱を起こして待遇改善を要求していたというのに、

現代ではみな社畜は富裕層に搾取され死を待つだけというのに誰も抵抗しないなんて・・・数千年の間に社畜のDNAには搾取され続けることが刻まれてしまったんですね。
遺伝子レベルで優秀な奴隷として品種改良されてきたとは、
日本のサラリーマン、恐るべし。

まあ、あまりにも、こんなこと(社畜の奴隷化現象)が多いと、社畜の抜け出そうとする精神はなくなってしまいますよね。
本当は、鎖自慢なんて習慣化しない方がいいんですけどね。


現代の不遇な待遇に甘んじている奴隷根性の社畜のことを、
奴隷の鎖自慢と言いましたが、
その精神は、ずっと健在で、
居酒屋や、ちょっと話せる場所に行くと社畜同士は、

「先月の残業が100時間を超えた」
「最近仕事で家に帰れてない」
「今月はすべて休日出勤だ」
などと不遇をうれしそうに語り、
定時帰りやホワイトな労働環境にいる人間を、
うらやむのでなく、怠惰な人間だ、などと蔑む、

そんな、優秀な奴隷となっている姿がよく見られます。
これは現代版の、「社畜の鎖自慢」です。

この国は、幼い頃から、和を乱すのはよくない、だの
先生の言うことには絶対服従(=権力者には絶対服従)だの、
優秀な社畜になるようにしつけていますので、
当然と言えば当然ですが、悲しい習慣ですね。

きっとどこの国でも、いつの時代もこうした奴隷の鎖自慢は繰り返してきたんでしょうね。
よく聞く、いつの時代でも言われる「今どきの若いもんは」という言葉も同様ですしw

こうちゃん

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